2012年05月07日

柏〜市原往復約120キロ自転車日帰り旅行


より大きな地図で 20120505_柏〜市原自転車旅行 を表示

 永遠に続くと思っていた連休がもうすぐ終わる。その事実を夕方の天気予報で知らされた僕は、母なる海に慰めてもらうべく、翌朝早くに自転車で東京湾を目指すことにした。

 時刻は朝の7時過ぎ。実家に放置されていた愛車CX900を引っ張りだして、家を出る。高いサドルにまたがって漕ぎだす、久々の前傾姿勢。天気は快晴。風もほとんどなく、これ以上無いくらいのサイクリング日和だ。
 かつては日本一の座を占めた清なる沼、手賀沼に掛かる手賀大橋を渡る。
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 手賀大橋を渡り切ると、少しの間林に囲まれた道になる。道幅は広くないので走りやすくはないけれども、木陰になる場所は空気がひんやりとしてとても涼しい。これだけ木陰が涼しいなら、人類がクーラーを発明するまでに600万年ほどかかったのも納得できる。
 そのまま国道16号線をまたいで、千葉県道8号我孫子船橋線を南に下る。国道16号を下って行くほうが道のりとしてはシンプルではあるけれど、自転車旅行ではより交通量の少ない道を選んだほうが、ずっと楽だ。(県道8号も交通量が少ないわけではないけれど)
 千葉県民ならみんな知っている、道の駅ならぬ「房の駅」で一休みして、再び走り出す。途中、スターバックスのドライブスルーを通過。この形態のスターバックスは茨城と千葉でしか見たことが無いのだけど、Twitter & Facebook情報によると、北は北海道から南は立川まで、全国津々浦々に存在しているらしい。
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 適宜道に迷いながら、8号線をひたすら南下する。右手に船橋競馬場が見えてきたので、ちょっと寄り道。競馬はやっていなかったけれど、駐車場ではフリーマーケットが開催されていた。フリーマーケットにフォルクスワーゲンのバスで乗り付けて出店するのが、いつか叶えたい僕の夢である。(写真はそこら辺にいた子どもです。)
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 南船橋までたどり着いたところで、ラムサール条約にも登録されている「谷津干潟」に沿って東に折れる。
 干潟沿いの道を進むと、50名規模のご隠居たちが、バズーカ砲みたいなレンズを担いで連なって歩いている。ゆっくりと脇を通り過ぎると、一人が「はい。自転車通りまーす。」と前方に知らせる。すると、それがブックオフ方式で次々に連呼される。何という無限「自転車通ります」地獄。
 無駄に恥ずかしい思いをしながらご隠居をやり過ごし、京葉線の高架をくぐって、もう1本海沿いの千葉県道15号千葉船橋海浜線に出る。県道15号は歩道に自転車専用レーンがあるし、路側帯も広いのでとても走りやすい。
 幕張メッセを横目に見ながら、QVCマリンフィールドに到着。残念ながら試合はやっていなかった。
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 そのまま海沿いを走ること10分。10時48分、出発から3時間半で海(幕張の浜)に到着。東京湾越しにスカイツリーが見えた。
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 浜ではたくさんの人が潮干狩りをしていて、この光景を見る限りにおいては、日本人が農耕民族とはとても思えなかった。
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 僕は防波堤に腰掛け、寄せては返す波をただ眺めていた。同じように単調なものに思えるこの波と僕の生活とでは、一体何が違うのだろうか。
 答えが出ないので、とりあえずバナナを食べる。
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 お腹と人生がバナナ1本分満たされたので、僕はまたペダルを漕ぎ始めた。
 海沿いの道を進む。稲毛海浜公園ではサーフィンやパラセーリングなど、多くの人がマリンスポーツを楽しんでいた。そこからしばらく進んだところで、山崎製パン千葉工場があるのを発見。そこではきっと多くのアルバイトが仕事を楽しんでいるのだろう。
 中央港にある、千葉県立美術館に寄り道。美術館の展示には目を引くものは無かったけれど、館内から見た中庭の芝生が気持ちよさそうだった。開放してくれれば良いのになぁ。
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 同じく中央港にある千葉ポートタワーの外観を眺める。
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 時刻は12時半。海も見れたので引き返しても良いのだけれど、折角なのでもう少し南下してみる。30分ほどでジェフの本拠地、フクダ電子アリーナに到着。
 何やら声援が聞こえるので自転車を降りて近づいてみる。どうやらなでしこリーグの試合をやっているようなので、チケットを買って入場。なでしこジャパンの試合は何度か見たことがあるけれど、リーグ戦は初めてだ。
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 スタジアム自体も初めてなので、名物「喜作のソーセージ」を購入。上品なケチャップ&マスタードのかけ方に僕の雅な育ちを見て取っていただければ幸いである。
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 試合は3-1でINAC神戸がジェフレディースを下した。
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 試合が終わったのは14時半。もう少し海と触れ合うべく、さらに30分ほど南下して、市原市の「マルエイ海釣り公園」へ。
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 受付で貸竿を借りようとすると、受付のオヤジに「いいの? 釣れませんよ?」と言われる。立場上その発言はどうなんだろうと思うも、なまじ釣れても困るので、むしろ望むところである。ということで竿を借りる。
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 隣にいた親子に色々教えてもらいながら、仕掛けを取り付けて海に糸を垂らす。そのまま潮風と日差しを30分ほど浴びたらもう満足したので、親子にお礼を言って公園を後にする。(僕が本気を出したら、東京湾の魚が絶滅するほど釣れていたであろうことは言い添えておきたい。)

 時刻は16時過ぎ。そろそろ家路へ。ここから自宅までの距離を調べると約60キロ。行きと違って夢も希望もない60キロはなかなかしんどいけれど、のんびりと帰る。
 内陸の道を通るのが最短であるのだけれど、海に来て沈みゆく夕日を見ないわけには行かないので、行きと同じ海沿いの道を走る。そして幕張の浜でちょうど夕日が水平線へと消えてゆこうとしていた。
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 日が沈んだあとは、いつもより大きな月を道連れにして、夜道を走る。家についたのは20時半。トータル約120キロの楽しいサイクリングでした。
 おしまい。
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2012年04月01日

キナバル山登山記録(4/4)|キナバル山頂

2011年9月6日(火) Laban Rata Ruesthouse
 午前1時50分。標高3,700m。マレーシア。
 タイムマシンに乗って、一年前の自分に「来年の9月6日はマレーシアの標高3,700mメートル地点にいるぞ」と言っても、とても信じさせることはできなかっただろう。人生何が起こるかわからない。一寸先は山であり、今夜は山だ。
 幸いにして、寝る前に感じていた熱はすっかり引いた。しかしながら別の問題が浮上する。干しておいた洗濯物がまだ湿っている。干している時から薄々感づいてはいたけれど、やはり乾かなかったようだ。
 ヒートテックは1着しか持って来なかったため、湿ったヒートテックを着るか、着ないでいくかの2択だ。しばし思案した結果、後者を選択した。気化熱で体温を奪われると、下手したらきっと死ぬ。

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 食堂に降りて当直前の夜食をいただく。山小屋に来てから寝るか食べるかしかしていない気がする。他にやることもないのだけれど。サバ州特産のサバコーヒーがとても美味しい。
 食堂で出発準備をしている人々の様子を見ると、皆バックパックを小さなリュックに取り替えて背負っている。なるほど。考えてみれば何も馬鹿でかいバックパックを背負って山頂へ行く必要はない。しかしながら僕は当然そんな準備はしていないので、バックパックからほとんどの荷物を出して、スカスカになったものを背負う。すこしの事にも先達はあらまほしきことなり。
 荷物は水を500mlとスニッカーズが1本に折り畳み傘。登山用ハーフパンツにUNIQLOのドライTシャツを2枚着て、その上にウィンドブレーカー。そしてその上からTHE NORTH FACEの雨具を着る。最後にヘッドライトを装着して準備完了。
 2時50分にGisosが迎えに来たので、いよいよ山頂へのアタックを開始する。

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 山小屋から外に出る。思ったよりも寒くない。ただ、夜のうちに雨が降ったため、地面が濡れていて滑りやすい。きちんとした登山靴を履いてきてよかった。

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 山小屋を出てすぐの道は渋滞中。登るのが速いも遅いも関係がない。首都高ではフェラーリもライフも走る速度は一緒だ。
 列がゆっくり進むなか、ふと上を見上げると、満天の星空が広がっている。その数はこれまで人生で見た星の数を全て足しあわせたものよりもきっと多い。山に登るということは、空に近づくことであるということに気付かされる。
 これらの星のどれかが自分の故郷だったとしたら、それは蛇に噛まれてでも帰りたくなるだろう。僕はマレーシアに来て、小さな王子の気持ちをはじめて理解した。
 この星を写真に収めようと試みるも、後ろからのプレッシャーもあり、何も写らなかった。本当に大切なものは眼に見えないのと同様、本当に綺麗なものを写真に写すのはなかなか難しい。

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 こんなにも沢山の星が輝いているのに、足元はとても暗い。ヘッドライトがないと何も見えない。

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 渋滞はしばらく続いたけれど、しばらくすると所々ある広くなった場所で休憩する人が出てくるため、次第に解消されていった。ようやく自分のペースで進むことができる。僕は物事を自分のペースでやらせてもらえないと、すぐに潰れてしまうのだ。
 そうしてマイペースで順調に進んでいたけれど、山頂に近づくにつれ難しいことも多くなる。下は岩場になり、水が流れて滑りやすい箇所もあるし、ロープにつかまってよじ登らなければならない箇所も多くある。
 『地球の歩き方』には道が整備されてあるとあったので、エスカレーターか動く歩道のどちらかはあるかと思っていたのに、何という仕打ちだろう。
 体力的にも辛くなってくる。空気が薄くなっている影響か、単に疲労の問題なのかわからないけれど、少し進んだだけで休憩が必要になっている。ただ、噂に聞く高山病なるものには、かかるきっかけもつかめないまま問題なく終わりそうなのは幸いである。

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 山小屋を出て2時間で、標高3,929mに到着。ここでスニッカーズを補給する。10年以上前のCMで、雪山でスニッカーズを食べている姿を見てからというもの、いつか山でスニッカーズを食べると決めていたのだ。
 10年越しの夢を叶えてからまた歩くこと40分。2011年9月6日午前5時26分。ついにキナバル山の山頂、標高4095.2m地点に到着した。
 一番高いところにある岩に座って、山頂を示す看板を眺めていると、Gisosがやってきて「よくやった。」と背中を叩いた。僕は立ち上がって、山頂の狭い岩場をぐるりと一周する。まだ空は暗い。
 僕はまた岩場に座り、山の麓を眺めていた。そして、思った。

 「暇だな。」

 狭い山頂に続々と登山者が詰めかけ、ある人は山頂で友人と記念写真を取り、またある人は恋人にプロポーズするビデオメッセージを撮影していた。一人でふらりとやってきた僕は、冷たい岩に腰掛けて、飲み会で浮いている時の懐かしい気持ちを思い出していた。

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 やがて曙光が東の空を赤く染めはじめる。僕は30分以上も空の写真を撮り続けていた。

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 空が明るくなり、山頂を示す看板の前も空いてきたため、僕は唯一の同行者である羊の写真を撮ることにした。看板の前にある岩に腰掛けて、足の上に羊を乗せて、写真を撮った。
 そのとき、横で写真を撮ろうとしていた誰かが、僕の足にぶつかった。
 羊が腿の上から転がり落ちる。しかし、すぐ下の岩の間に挟まって止まっていた。僕はほっとしてその隙間に指を滑りこませる。そしてその指が羊に触れた瞬間。
 羊、さらに落下。
 もはやその姿を確認できないところまで落下した羊。動かせる岩をいくつかどかしてみたけれど、その姿を見つけることができない。
 NYで捕獲し、チェコクロアチアモロッコトルコエストニア、ラトヴィア、リトアニアと旅してきた羊と、キナバル山の山頂で別れることになろうとは。
 さらば羊。寒いかもしれないが、その羊毛でなんとか生きて行ってくれ。そして、山を汚してごめんなさい。

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 羊と別れ、僕はゆっくりと山を下りはじめる。すっかり空も明るくなり、初めて山頂付近の様子を目の当たりにする。そこは想像以上に岩場であった。陽の光に照らされた岩肌が織りなす階調は綺麗で、眼下に広がる緑との色調もまた美しい。

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 目を楽しませながら降りはじめて30分、あることに気づいた。下りは相当つらい。
 一歩一歩下るごとに前腿の筋肉に大きな負担がかかり、これを繰り返すのがかなりこたえる。『チャレンジホビー!〜あなたもこれから山ガール』で、下りのほうが事故が多いと言っていたのもうなずける。
 上りで壊れるのはアクセルだけれど、下りではブレーキが壊れてしまうのだ。
 前腿を震わせながら下りること1時間半。山小屋に帰ってくる。Gisosに90分後の9時半に再度出発することを告げて、いったん小屋へ。

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 食堂で朝食をいただく。星型のシリアルがおいしい。牛乳は多分スキムミルクだ。
 部屋に戻って、荷物を再びバックパックに詰める。今さら洗濯物が乾いていた。ペットボトルに水を補給して、再出発まで30分ほど寝る。

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 9時半。山小屋をチェックアウトし、下山再開。心がけることは2つ。小さな歩幅で歩くことと、周りの風景を楽しむこと。

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 苔の写真を撮りつつ歩いていると、Gisosが声をかけて茂みの方を指さしている。そちらを見ると、ウツボカズラを発見。奥まったところに咲いていたため、Gisosがいなければとても気が付かなかっただろう。下りになって突然ガイドとしての使命に目覚めたGisosに感謝したい。

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 途中で、食料をかついで登る人々とすれ違う。彼らのおかげで山小屋は3000m以上の高地にありながらとても快適(シャワーを除く)に過ごすことができるのだと思うと頭が下がる思いだ。一方で、ごく小さな荷物を背負った登山客と、大量の荷物を背負ったポーターともすれ違う。色々な登山の形があるものだ。

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 下りは本当に辛い。山小屋を出てから2時間。階段を1段降りるごとに、前腿がちぎれそうになる。実際、結構な数の筋繊維が切れているはずだ。
 上りでは通り過ぎていた休憩所で何度も休憩しながら、足がつらないよう細心の注意を払ってゆっくりと歩を進める。
 残り2kmを切ってからは、これまでの上り下り全ての工程を足しあわせたよりも長く、辛く感じた。歩くだけでこれほど多くの筋肉が使われているとは思わなかった。
 僕より後に出発した人々に追いぬかれながらも、12時50分、山小屋を出てから3時間半で再び登山口に戻ってくることができた。

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 登山口から車でビジターセンターに戻る。車代50ドルを請求されても支払ってしまいそうなほど疲れていたけれど、帰りは無料だった。
 ビジターセンターでは何の手続きもなく、ごくあっさりとGisosとも別れる。熱い抱擁の一つでもあるかと思ったけれど、お互いに何の得も無いので、きっとなくて良かったのだろう。

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 行きにお弁当をもらったレストランへ行き、最後のバウチャーを使ってビュッフェをいただく。カロリーが体に染み渡る。
 キナバル公園を出て、バスでコタキナバル市内へ。こうして僕のキナバル登山は終わりを告げた。

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 コタキナバルで夕日を眺めながら、僕はこの登山について考える。山に登る前の自分と、登ったあとの自分で何が違うのだろうか。
 人生観は変わっていないし、煩悩は溢れんばかりにあるし、特に男前になった様子もない。それでも僕は山に登った。そしてその記憶がある。

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 地獄のように冷たいシャワーに、無闇矢鱈に星を散りばめたような空に、空を自在に塗り替える曙光。それらを抱えて僕は山から下りてきたのだ。
 下山の途中、登山証明を発行する場所があったけれど、僕はそれを断った。僕が山に登ったことについて、誰にも証明する必要なんて無い。ただ僕だけがそのことを知っていれば良いのだ。(ブログに書くなんてとんでもない!)

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 人は手ぶらで生まれ、そして手ぶらで死んでいく。でもその頭には無数の記憶が詰まっている。たとえ思い出せなかったとしても。

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 そして、生きているうちはお腹が空くものだ。

 おしまい。
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2012年03月25日

キナバル山登山記録(3/4)|コタキナバル→キナバル山

2011年9月5日(月)コタキナバル
 5時半に起床。荷物をまとめて6時半に宿を出発し、バスターミナルへ。10分ほどで到着し、キナバル公園へ向かうバスもすぐに見つかる。バスと言っても、10人乗りくらいの小汚いバンだ。トルコ旅行で利用したドルムシュが懐かしく思い出される。
 運転手のオヤジに主発時間を確認する。
 「(7時だって知っているけど)何時に出るの?」
 「8時だ。」
 「えっ。」
 昨晩の観光局のスタッフも、今朝宿のフロントで確認しても7時だと言っていたのに、まさかの8時出発。それはマズイ。
 キナバル山の登頂には幾つかルールがあり、そのうちの一つに、「午前10時以降は登頂を開始することができない」というものがある。おそらく日没前に山小屋にたどり着くことができなくなることを防ぐためであろう。
 コタキナバルからキナバル山までは約2時間のため、8時に出発すると到着は10時を過ぎてしまい、登頂できない恐れが十分にあり得る。日本から遠路はるばるやってきた挙句に、麓から山を眺めて引き返す結果になったら、アイスキュロスだって涙を禁じえないだろう。
 オヤジに7時に出るバスがないのか聞いてみる。
 「無い。でもこのバスが満車になったらすぐに出発するぞ。」
 そう言ってオヤジは誰も乗っていないバスを指差した。

 キナバル山に登るためにどうしても9時までに着きたいということを訴えるも、オヤジは軽く無視をしてどっかに言ってしまった。僕ご自慢の「途方にくれている外国人オーラ」が効かないとは、このオヤジ、なかなかできる。
 周りの奴らもニヤニヤしているだけで、助け舟を出す気はないようだ。確かに必要なのは舟ではなくバスだけれど。観光局へ行って相談しようにもオープンが8時からなのでもう手遅れだ。そうしているうちに刻一刻とタイムリミットの7時が近づいている。
 手痛い出費ではあるけれど、タクシーで向かうことも考えなければならないな……。
 運だけで渡ってきた僕の人生もこれまでかと思った矢先に、1台のこれまたボロいバンがバスターミナルに到着した。ここで一発逆転のキナバル公園行きが到着かと期待したけれど、そうではないようだ。だがそのバンの運転手と、キナバル公園行きのバスの運転手が何やら話し合っている。
 そして、バンの運転手が僕の方にやってきて言った。
 「お前、今すぐ出発したいのか?RM80(約2,000円)ですぐに出発してやるぞ。」
 『地球の歩き方』によると、通常バスで向かった場合の料金がRM15なので、3倍強のお値段だ。しかし、タクシーの相場(RM150〜180)よりかもはるかに安い。これは悪くない提案だと思ったけれど、一応値下げ交渉をしてみる。
 「もうちょっと安くならんかね。」
 「お前一人だろ? 2時間かかるんだぞ?」
 まぁ確かにそうなので、大人しくRM80を支払い、車の後部座席に乗り込む。
 いざ出発。
 と思ったら、助手席に見知らぬ爺さんが同乗してきた。席が空いていたらタダ乗りさせてもらう、こうした爺さん婆さんを海外ではよく見る。1人ではなくなったので、再度値下げ交渉しようと思ったが、運転手が「彼はお前のおじいさんだったな?」と気の利いた台詞を言ってきたのでやめにした。
 実は僕の祖父が先日亡くなったばかりでもあった。この爺さんの分も支払ったと考えれば、1人あたりRM40でそんなに悪くない料金だ。

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 オンボロ車は7時にバスターミナルを出発。キナバル公園を目指して平地を70キロ、坂道を30キロでひた走る。坂道でのスローダウンっぷりに、このペースで間に合うのか不安になる。いや、むしろ完走できるのかも怪しい。

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 1時間弱走ったところで、キナバル山がその姿を現す。標高4095.2メートル。あの鋸山よりもはるかに高い。
 しばらく走ると、オヤジが気を利かせて、キナバル山のよく見えるスポットで停車して写真を撮るように促す。気持ちはありがたいが、もっと急いでくれないだろうか。
 車がノロノロと山を登るにつれて気温が下がってきたため、ヒートテックを装備して山に備える。

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 キナバル公園には9時5分前に到着。爺さんに別れを告げて中へ。公園の事務所で山小屋の予約票を見せると、食事のバウチャーを貰える。これで今日の昼食(お弁当)、宿での夕食、山頂へ行く前の夜食、翌日の朝食、そして下山後の昼食をもらえるので、充実の1泊5食付きだ。

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 早速事務所から坂道を下ったところにあるレストランへ行き、オリジナルの手提げバッグに入ったお弁当を受け取る。中身が楽しみだ。

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 弁当をバックパックにしまって、今度は事務所の隣にあるビジターセンターへ。ここで登山者のIDカードを受け取る。プラスチックに名前が印字された、立派なカードだ。
 カードを受け取ったあとは、隣のカウンターでガイド料金を支払う。キナバル山の登頂ルールとして、ガイドの付き添いが必須となっているのだ。ガイド料金はRM128(約3,500円)。ちょうどこの2011年9月1日から従来の1.5倍に値上がりしたという絶好のタイミングであった。ここまでのバス代にガイド料にと、想定より多い出費が結構痛い。
 僕の担当ガイドはGisosという岡村隆史似の小さいおじさんが割り当てられた。
 全ての手続が終わったところで、いよいよ登山の準備をする。asicsの登山靴にウールの靴下、adidasのスパッツの上からヒートテックを履き、Lowe Alpineの登山用ハーフパンツ。UNIQLOのドライTシャツの上に長袖のヒートテック、その上にReebokのウィンドブレーカーと、世界中のメーカーが僕のために道具を用意してくれた。水はお弁当と一緒にもらえた500mlのペットボトルと、持参したこれまた500mlのペットボトルに、飲みかけの水があと300mlほど。バックパックの重さは大体6kgほどだ。
 すべての装備を整えて、首からIDカードをぶら下げ、バックパックを背負っていざ出発。と思いきや、登山口までのピックアップ料金としてRM33(約900円)を請求される。何か1つアクションを起こすたびに減っていくお金。4000m級の山に登るにあたり、少しでも荷物(主に財布)を軽くしてやろうという事務所の優しさに涙がこぼれた。

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 車で5分ほど走って(5分で900円…)、いよいよ登山口へ。
 午前9時43分、登頂開始。

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 『歩き方』には登山道は整備されていると書いてあったので、赤絨毯でも引いてあるのかと思ったけれど、そうではないようだ。この登山道が整備されているのか否かは、僕の豊富な登山経験(2回)では判断しかねる。

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 歩みを進めるにあたり意識することは、常に体重を自分の真下に置くこと。これは日本を出るときにEテレで放送していた『チャレンジ!ホビー あなたもこれから山ガール』で得た知識だ。有用な番組であったけれど、まだ第3回目の時点で日本を離れなければならなかったことが悔やまれる。

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 30分ほどで1km(標高2039m)、2時間ほどで3.5km(標高2634m)地点に到着。途中で暑くなってきたので、ウィンドブレーカーをバックパックにしまい、ドライTシャツとヒートテックだけになったのだけれど、それでも汗がしたたり落ちる。

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 体力的にはそこまで辛くないけれど、木を組んで階段状にしている箇所が多く、筋力的な負担は結構大きい。ガイドのGisosは階段を避けて、脇の坂になった箇所を登るようにしていたので、僕もそれに習う。

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 3.5km地点からもう少し登ったところで昼食を取る。下でもらったお弁当をいよいよオープン。サンドイッチにゆで卵が2個、小さいバナナとリンゴが1個。動物園の猿山を思わせる充実のメニューだ。
 ミニ四駆で言うとクリアボディのファイヤードラゴンを更に穴だらけにしたような軽量化に成功している軽食。とはいえ、侮ってはいけない。サンドイッチとゆで卵は口にした瞬間に、口の中の水分を根こそぎ持っていく。僕は歩いている時よりもはるかに多くの水を摂取し、昼休憩を終えた。

 12時ごろに登山再開。このあたりから下山途中の人とも多くすれ違う。日本からやって来た山じじいと山ばばあの集団にも遭遇した。
 ガイドのGisosは物も言わずに、僕の後ろを影のように歩いてついてくる。後ろをついてきてくれるのは、自分のペースで歩けるのでとてもありがたい。折角なので少しコミューニケーションを図るべく、声をかけてみた。
 「日本では"山ガール"っていうのが流行ってるよ。」
 「ふーん。」
 「……。」
 「……。」

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 Gisosとの心温まる交流もそこそこに山登りは続く。キナバル山に登る人も様々だ。
 いかにも運動が苦手そうな女の子が、命を搾り出すような吐息を漏らしながら体を持ち上げている。
 若い男の子はハイスピードで僕を追い抜いては、その先の休憩所で僕に追い抜かされるのを繰り返している。日本には『うさぎとカメ』という童話があることを伝えてあげたい。
 他にも、小学生くらいの子どもを連れた夫婦もいれば、日本人の男女もいた。

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 出発から3時間ほどすると、太ももの限界が近づいているのを感じる。なるべく坂道を通るようにしてはいるけれど、やむなく階段を通るときは、段差を登るごとに、気を抜くとももがつりそうになる。一度つると相当にキツくなるので、慎重に歩を進める。
 水分をこまめに補給しながら、スニッカーズでカロリーを補給。以前、自転車でハンガーノックになったことがあり、怖さを知っているのでそれだけは避けるように努める。

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 そして登頂開始から3時間40分。13時24分に標高3272.7mに位置する山小屋Laban Rata Guesthouseに到着した。
 ここでGisosとは一旦別れ、今夜山頂へ向かうときに最後合流することになる。Gisosは
「ヘイ、カミカゼボーイ。お前の健脚と折れない心には正直度肝を抜かれた。今まで多くのクライマーを見てきたが、俺のあとを継がせても良いと思えたのはお前だけだ。どうだ、ここに残ってガイドとして働かないか?」と言わんばかりに、
 「お前速いな。明日は3時に迎えに来るよ。」
 と言って去っていった。

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 宿のフロントでチェックイン手続きを済ませる。Dorm4が僕の部屋だ。二段ベッドが3つある。
 何よりもまず汗を洗い流すため、バスタオルと着替え、そして洗濯物を持ってシャワールームへ。
 シャワールームに入ると、先客が奇声を発しながらシャワーを浴びていた。高地で脳にダメージでも受けたのかなと思いつつ、隣のシャワールームに入る。
 ノブをひねると、シャワーから勢い良く水が出てきた。山の神様がくれた水はとても冷たい。ノブの隣にいかにもお湯が出そうな赤いレバーがあったため、押してみるが何も起こらない。引いても、回しても何の手応えもなく、水はどこまでも冷たい。
 シャワーから落ちる水でシャワールームの室温はどんどん下がっているのがわかる。水に手を入れようにも、10秒と持たない。
 やむなく隣人の変人に声をかける。
 「ねぇ、お湯はどうやったら出るの?」
 「お湯はないよ!」
 「マジで?」
 「そうだ。お湯だと思うことが大事だ!」
 隣人の奇声はお湯だと思うための断末魔の叫びであったようだ。そんな彼の勇姿を見て(見てないけど)、僕がここで引く訳にはいかない。
 ボディタオルを水につけて石けんを泡立て、体を洗う。そして髪を洗うと同時に体についた泡を洗い流す。この最短時間で勝負を決めるしか無い。
 大きく息をひとつ吐き、また大きく吸ったところで、頭からシャワーを浴びる。
 あまりの冷たさに声も出ない。全身の血管が一本残らず収縮して、全ての血液が心臓に逆流するかのようだ。喉が締め付けられて、乾いた息が漏れる。
 生命の危機を感じたため、水から逃れる。いつの間にか吐息は白く濁っていた。
 漫画のように全身を震わせながら、降り注ぐシャワーの水を見つめて、自分自身に問いかける。
 「もう1度あの中に行けるのか? 行ったら戻ってこれるのか? おい俺の筋肉、行けるのか行けないのかどっちなんだい?」
 「絶 対 無 理。」
 僕はまだ体に残った泡をバスタオルで拭き取り、わずかにつないだ生命を両手で抱きしめながら、登山の厳しさを全身で感じていた。
 洗面台で洗濯をしてから部屋に戻ると、同部屋の登山客が到着していた。シンガポールからやって来たという男女3人組だ。
 僕が冷水シャワーを浴びてきたと知ると、「お前はヒーローだ」と言った。
 両手に洗濯物を抱えたヒーローは上のベッドの裏側(下側)に洗濯ひもを張り、濡れている洗濯物を干した。そして夕食の17時まで、世界の平和を願いながら洗濯物の下で眠りに就いた。

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 17時に起きて夕食会場に降りたが満席だったので、もう一眠りしてから18時前に再び降りる。夕食はビュッフェ。なるべくハイカロリーなものを摂取するように心がける。

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 食事の後にテラスで夕焼けを眺めてから、部屋に戻る。
 部屋に戻って改めて感じる。夕食前から薄々感づいていたが、やや熱っぽい。どう考えても地獄の冷水シャワーが原因である。ここまで原因のわかりやすい体調不良もそう無いだろう。早めのパブロンを投入し、深夜までまた眠りに就く。
 深夜3時から山頂アタック開始。果たして大丈夫なのだろうか。
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